7.スクリーン・ジャンキー

「飯の時くらいスマホ触るのやめようよ」

 

テレビからNHKのニュース流れる夜の一家団欒の時間帯。ふと俺は口に出してしまった。

 

パウルマン家は4人家族だ。

自営業の親父

来年定年の福祉関係の仕事の母親

プータローの兄

次男のパウルマン先生こと俺

 

そう俺はいわゆる子ども部屋おじさんである。

地方の大学に出てアイターンで実家に戻り通える距離の超一流企業で働いている。年収は内緒だ。因みに夏季のボーナスはきゅうまんはっせんえんだ。😭

 

30近い兄貴は徒歩で通える飲食店でバイトしながらでプラプラしている。田舎では良くある事だ。

こちらも子ども部屋おじさんである。

 

その息子×2と親父と母親の4人で料理に舌鼓を打っていたとき

その時間は訪れた。

 

ふと気がつくと俺以外の3人が下を向いてスマホを触っているではないか

 

飯時に、箸ではなくスマホを握っているのだ。

 

子どものとき

「飯の時間だぞ!」ってゲームの電源落とされたり「飯の時はNARUTO禁止!」って教育をしてきた両親が煌々と光るスクリーンの向こうの世界を虚な目で見ているのだ。

 

1ヶ月くらい前に「コロナ禍で自宅に閉じ込められた子ども達がゲーム依存になる」という報道がなされていた。

 

なんてことはない

 

コロナ前からずっと前から大人も子どもも依存症になっていたのだ。スマホというデジタルドラッグに。

 

 

戦後、日本人の暮らしはみるみるうちに便利になった。

徒歩で2時間かかるところ自動車なら10分もかからない。

1枚1枚凹凸のある板で擦っていた衣類もスイッチ1つで洗濯も乾燥もしてくれる

冷凍冷蔵庫のおかげで毎日買い物に行かなくても済む

昨今の働き方改革で帰りが深夜の2時なんてことはまずなくなった。(まだそんな仕事しているようなら今すぐ転職しようね)

業界によるが土曜日も休みになった

 

面倒くさいことを全て機械が担ってくれて、労働時間も減って昔と比べて格段に余暇の時間が増えたはずだ。

 

だが現実はどうだ

人類は余暇時間ず〜〜〜〜〜〜〜〜っとスマホを見ている。

 

いや、スマホに!Twitterに!LINEに!Instagramに!YouTubeに!見ることを強いられている。

 

朝起きてスマホ、トイレ行ってスマホ、下手すりゃ運転中信号待ちでスマホ、風呂入りながらスマホ、寝る前にスマホ……

 

自分の時間を削って得た賃金で買った家電で捻出した余暇時間を全部アイツらに溶かされているのだ。

 

閑話休題

 

ここで冒頭部分の言葉がつい口から溢れてしまったわけだ。

 

そのあと「スクリーンに依存している状況は何かすごく悪いことなんじゃないかと危惧している」って話をしたんだが

 

その言葉にカチンときたオヤジは「俺はリアルも大事にしている。スマホを触ることを禁じるのは他人に強いることではない」的な少し的外れな反論をしてきた。

 

つまりオヤジの言いたいことは「俺は遠方にいる仕事や趣味仲間とコミュニケーションを取るためにスマホを触っている。ゲームにのめり込んで人間相手のコミュニケーションを怠るひきこもり人間とは違う。俺は有効にITツールを使いこなしている。お前がスマホ触らんのは勝手だが、俺の便利を奪うな」というわけだ。

 

言っていることは分かる。オヤジは今年還暦だ。

家に黒電話しかなかった時代の人間からすると格段にコミュニケーションをとりやすくなったのだろう。

 

親父の価値観では

 

ネット依存=ゲーム依存=他人と接することができない社会不適合者

 

それに比べて俺は遠方の他人と接するためにITツールを使いこなしてる情報強者

ネット依存扱いするな

 

というちょっと古い価値観なのだ。

SNS依存の危うさを知らないのだ。

 

でも俺は新しい価値観が分かってるって顔をしてるから尚更たちが悪い。

 

説明するのがめんどくさくなった俺は「コロナヤバいねー」ってテレビに話題を戻したがモヤモヤが残る。

 

 

 

日本人の1/3くらいはスマホ依存なんじゃないかと思う。

一日何回スマホを起動してる?

1日何時間YouTube見てる?

1日何時間ソシャゲをしてる?

1日何通LINEのやりとりをしてる?

 

それを心から楽しんでやっているか?

そのソシャゲは本当に楽しいか?

それで1日潰して心から充実したと言えるか?

そこに惰性は無いのか?

そのYouTubeチャンネル本当に君のためになる情報を発信しているのか?

 

 

君は働いてる

偉い

すごい偉い

本当に偉いよ

朝起きて会社で9時間くらい仕事して帰ってきて寝るまでの数時間

 

至福のひと時だ。

 

職場の緊張感もないし、お客さんから電話もかかってこない。上司の目もないし、何しても良い。自由な時間。

 

その君の大切な大切な余暇時間を食いつぶしているのは誰だ?

Facebook社か?Twitter社か?アルファベット社か?広告業界か?

いわゆるアテンション・エコノミー企業か?

 

このまま成すがままスマホを使いこなしている(笑)と、意味のない情報を口を開けて待っているタイムラインを縦にスワイプする家畜になるぞ?既になっているぞ?

大切な余暇の時間を巨大なIT企業に吸われるだけの豚に。

 

それに気づいてすらいない愚かな豚に。

 

SNSは便利だ。

めちゃくちゃ便利だ。

友達にも友達じゃない人にもすぐ連絡できる。

芸能人にだって一瞬でメッセージを送れる。

エッチな女の子がたくさん写真をあげてくれてる。

猫の写真だって、無料の漫画だっていっぱいある。

その反面しっかりデメリットもある。

しっかりメリットデメリットを洗い出して天秤にかけるように。

とにかく俺たちの1日は24時間しかないのだから

 

スマホを1日6時間とか8時間とか見るのは絶対異常だ。みんな異常なのだ

 

SNSやくだらないネット記事を読む時間を1時間だけ減らして、筋トレしたり、読書をしたり、絵を書いたり、ブログを書いたり、何か創造的な活動に当てれば激烈に自己肯定感や、充実感・達成感を得ることができるんだろうなーと思いつつ俺は今日もスマホを触る。

 

以上

デジタル・ミニマリスト

本当に大切なことに集中する

 

という本に感化されたパウルマン先生より

 

 

6.友人

8月に遠い西の方から友人が僕の住む街に遊びに来た。

また別の友人が12月にも僕の住む街に遊びに来た。

これと言って目的もなく、遊ぶところもない、名産品もないこんな田舎に遊びに来たのだ。

お前らこんな田舎に来て、特別なおもてなしもしなかったが本当にこれで良かったのか?

 

本当に僕は素晴らしい友人に巡り会えたんだな。

あいつらは俺に会いに来てくれたのだ。

こんなに嬉しいことはない。

 

今度は俺がお前らのところに行くよ。

楽しく飲もう

俺ばっか喋ってごめん。

お前らと喋りたいことはいっぱいあるんだ。

本当に友人との時間は何者にも代え難い

そう強く思ったのでここに書き残しておく。

今の本当の友人たちとは死ぬまで関係を続けていきたいと本気で思った夜でした。

 

8月にきた友人よ

 

結婚おめでとう

5.苦しかったときの話をしようか 森岡 毅著

先週、3年ぶりに学生時代の友達と2人でお酒を酌み交わした。

最初「仕事はどうだ」「彼女はどうだ」「結婚するのか」「あいつは結婚したらしいぞ」など二十代後半に差し掛かった俺たちは二十代後半の人間が喋るような話をした。

 

昔からの悪い癖だが酔いが回ってくると、口にストップがかからなくなってまくしたてるようにいつも考えていることや人生・信念や哲学の話をする。

 

一通り話し終えると彼が言った「パウルマン先生がめちゃくちゃ意識高くなってて驚いた」

 

おお、確かに……

ツイッターでブスとDQNとキョロ充とサブカル女の悪口しか言ってなかった。こいつにも学科の女の悪口ばっか言っていた。

 

今は「自分の人生」「社会でやり易くするには」「自己実現」「俺のイカれた友達のこと」

を考えることが多い。

イカれた友達云々については後日別の記事にする。

 

所謂俺は「意識高い系」になったのだ

 

ミニマリストもやってみたいし、ボディメイクもやりたいし、積立NISAや時間や家計のマネジメント、簿記も勉強してみたい。

まーやりたいことがいっぱいあるわけよ。

仕事は相変わらずしたくないんだけどね。

 

そんな意識高い系の俺がお勧めするのは

 

「苦しかったときの話をしようか」という本。

 

著者は、USJのV字回復を実現させた豪腕マーケターらしい。

昔のUSJって過去の映画のアトラクションだけだったけど、ハリーポッターを契機に日本のアニメとかゲームとか色々打ち出すようになって、活気がすごくなったじゃん?

それを仕掛けた張本人らしい。

めちゃくちゃ有能じゃん。

 

娘が就職に悩んでていろいろ熱っぽくアドバイスしようとしたら煙たがられたからその内容を本にしたらしい。

 

えぇ……

 

娘だけでなく就職・転職に悩む人全ての人必読の本となっております。

 

出てくるエピソードはスケールがデカくて有能で、努力家で頭のキレがハンパないって感じの成功者っぽいエピソードが多くて、自分の能力や環境と見比べて本当に嫌になってしまう。

 

だがこの人の言う「ナスビは立派なナスビになればいい。無理してきゅうりやトマトにならなくてもいい」という言葉にとても共感を覚えた。

 

社会という物は自分の得意な分野のプロになってお金をもらうところだ。

野球で食えるならサッカーをやる必要はない。

一日中機会をイジる技術系の人が営業のようにペラペラと軽快に話さなくてもいい。

英語ができないなら、無理して外資系の会社に行かなくてもいい。

若い子が苦手なら年寄り相手の商売をすればいい。

型にハマらず自分の得意なところを精一杯やれってことだ。そして無理やりトマトにしてくる環境からは逃げること!

そのために自分の特徴を精緻なまで認識して、他者に周知させて成長することが肝要になってくる。

 

だが日本人は「自分は何が得意で何が苦手なのか」を考えることが苦手だ。

「苦手です。」って言うとバツが悪いし、恥ずかしいし、上司から「苦手です!じゃねぇよ!ちっとは直そうとせんか!」と怒られるのがオチだ。

 

俺は自分のことを、自分の考えていることを誰かに喋るのが大好きだ。

 

俺はこの一本槍を武器にして社会の荒波を泳いで行こうと思う。

みんなこの本によると自分の得意なことを1つ決めてしまうのがいいらしい

もう自分で自分のキャラを決めてそのキャラを忠実に演じるんだ。

立場が人を作ると言うけれども、そうすれば本当にそういうキャラになっていくもんだ。

 

俺もコミュ障だったのがある程度まで喋れるようになったしね

彼女は出来んが…😡😡😡

4.謝罪会見

日本人は、本当に人に謝らせるのが好きな民族である。

 

「○○大臣がこんなことを言っていた」

「人気芸人△△の過激発言!」

「タレントの××が過去こんなことを言っていた」

「傷つく人もいるんですよ!」

「被害者や遺族の気持ちを考えたら、到底容認できる発言ではない」

「政治家は庶民感覚が分かっていない」

「たくさんの視聴者がいるんだから、責任と自覚を持って〜」

「子どもがこの遊具で怪我したらどうするんだ!」

 

3.11以降年々過激になっている気がする。

 

あぁ、うんざりだ。本当に吐き気がする。

 

気持ちが悪い。

 

バカな人間の浅くて薄い理論に基づいた正義という名のゴミの塊が淀んで可視化されているみたいだ。

 

そもそもなぜ現代人は正義を盾に皆で一斉に人を攻撃するのだろう。

 

みんな教科書で読んだ時はヘッセの「少年の日の思い出」のエーミールのことを嫌ってたはずなのに……

 

 

道徳心

 

人を傷つけることが許せないから?

 

匿名の安全地帯から人に石を投げつけるのが快感だから?

 

どれも不正解ではないけども、正解でもないと僕は思う。

 

それは

「受診する情報が多過ぎるから」

「情報の発信が容易過ぎるから」

だとぼくは思う。

 

情報過多の現代では、次々にSNS、ニュースやネット記事から情報が流れてくる。

 

やれ台風の被害がどうだ。

 

やれ、大臣が辞任するだ。

 

やれ、今場所も横綱は休場だ。

 

次々と情報が流れてくるもんだから1つ1つのニュースについて熟考する時間なんかない。

だから視聴数を集める為の過激な記事を掻い摘んで頭にいれる。

 

そんなニュースが引っ切り無しに入ってくるもんだからニュースの裏側、書き手の意図、切り取り方、そんなことを想像する暇なんか無いのだ。

そしてニュースアプリからSNSにアプリを切り替えて、想像力が欠如したまますぐにSNS掲示板投稿するわけだ。

「被害者の気持ちを考える想像力も無いんですか!?」ってね

考えてないから批判もみんな似たりよったりの言葉を使う、

 

 

想像する時間がないから虫のように

「誰かが悪いことをした。」→「正論で殴る」

って反射で動いてしまう。

 

ちょっとは考えて投稿しようよ。

正論だろうと人から非難されるのはつらいってことはいつも上司や先生に正論で怒られてる君たちなら痛いほど分かってるだろうに。

 

 

いろいろ言ったけど、ぼくはなんでもないことを大きく取り扱って人を糾弾する人間のことは、ゴキブリとクモとムカデとミジンコを足したキメラの100倍キモいと思っています。

本当にうんざりしています。

 

「ノイジーマイノリティ」だと横文字でカッコいいから「ゴキブリとクモとムカデとミジンコを足したキメラの100倍キモい人」って呼ぼう。

 

AI分析でなんとか「マジョリティの数に裏打ちされた正当なクレーム」なのか「ゴキブリとクモとムカデとミジンコを足したキメラの100倍キモい人」のクレームなのかを分別できねえの?

頭のいい人開発を頼みます。

 

 

 

3.ぼくたちにもうモノは必要ない 佐々木典士著

これは汚部屋の主からミニマリストという概念に出会った著者が、モノを捨てることによってどうなったかという本である。

 

最近ミニマリストYouTuberの動画を好んで見ている。

きっかけは

「サラリーマンはその会社に入った瞬間生涯年収が決まっていること」

「勤務・通勤に10時間+睡眠に6〜8時間それらを引いた時間は本当に少ないこと」

上記を強く再認識したからだ。

 

つまり「思ったより金も時間も有限で少なくね?」ということである。

 

ぼくも最近の若者の価値観と同様に「仕事は金を稼ぐ手段。プライベートの充実が第一」という思想の持ち主である(そのくせ26年彼女がいないのはどうなの?)。

 

そのために必要なのは「節約」「余暇時間の捻出」である。

 

その手段として「ミニマリストという生き方」に目をつけたわけだ。

 

 

ミニマリスト

 

と聞くとどんな印象があるだろうか。

 

「ちょっと前に流行ったよね」

「部屋に何にもない人」

「いつも同じ服着てる人」

「とにかくモノを捨てる人」

世間の認識はこのくらいだろうか。

 

流行った云々は置いておいて、下の3つの特徴は、ミニマリストの目的ではなく手段である。

ミニマリスト達は「部屋に何も置かないこと」を目指しているわけではない。

「モノを捨てるのが大好き」というわけでもない。

誤解を恐れずに言うとミニマリストは「クッソ尖った効率厨」というところだろう。

 

「部屋に何も置かない」のは

掃除の手間が格段に減るから。

「同じ服をいつも着てるのは

服を選ぶ手間が面倒くさいから」

「モノを捨てるの」は

不必要なものを持っていても邪魔だしコストがかかるから

何より「大切なものが分からなくなるから」

それらを省いていくと自然と上記のような生活スタイルに落ち着くらしい。

 

ただ別に100人が100人服を選ぶことが面倒臭いと思うわけではない。服を選ぶことが大好きだったり、仕事に活かしたりする人もいる。そういう人はミニマリストになれないというわけではない。

そういう場合は服をたくさん所有していればいい。

 

大切なのは「大事なこと・必要なことにだけお金と時間をかけて無駄なものには金も時間も場所も脳の容量でさえ使いたくない」という精神だ。

 

ただぼくの場合は

「狭い部屋に住めば安く済むじゃん」

「モノも服も買わなければ貯金できるじゃん」

「どうせ家で過ごす時間なんか少ないんだからそこに金と時間かけるのは損でしょ」

 

ってだけだけど、物事の入りなんてそんなもんだと思う。

別に本に書いてあることを全て取り入れないといけないわけじゃない。

必要なエッセンスを理解して自分の人生に落とし込むことが何より重要なのだと思う。

 

みんなもミニマリスト的生活を取り入れて金と時間を節約しよう。

そしてモノ・カネに支配されてない生活を取り戻そう。

 

 

この本の中でぼくが感銘を受けた言葉を紹介して終わりとしたい。

 

1つは「デフォルト・モード・ネットワーク」だ。

ぼーっと何もしていない時も脳は神経活動をしていて、自分を見つめ直す作業をしているらしい。 

これが無く、慌ただしく人生を過ごしていると自分を見つめ直すことが出来ず、ただ時間を消費してしまうだけになってしまう。

僕の場合前の記事の「釣り」がまさにその時間である。

 

2つめは「コンコルド効果」

心理現象の1つで

ある対象に投資した後、それをやめようとしても「あんなにお金つぎ込んだのにもったいない!」と更にお金をつぎ込んでしまう状態をさす。

「このソシャゲで○十万も使ったからデータは絶対消せないしランクを維持するために定期的に課金せざるを得ない」

「この自動車に大金を使ったから燃費悪くてもたくさん乗らないともったいない」

 

みんなの周りでもいるだろう。

君がそうかもしれない。

「それコンコルド効果だよ」って言っても恐らく辞められないとは思うが

頭の片隅に入れておけば無駄な出費は避けられるかもしれない。

 

2.釣り

サラリーマンというのは

いかに効率よく動くかという仕事だ。

 

物を作るにも

同じ人数でたくさん作れると利益が出る。

営業も1000万円で売れても原価が950万円より

30万円のものを100万円で売る方が利益も効率もいい。

 

 そんな会社で効率よく動くために絶えず頭を回して狭い机で忙しなく指を動かす。

こんな仕事をしている人も多いだろう。

 

 

ぼくもそんな会社の歯車として生きているけれども、たまの休日くらいは効率厨に仮面を脱ぎ捨てたい。

無駄なことをしたい。ボーっとしたい。日差しを浴びたい。帰りたい。無駄なことを考えたい。

そんな飢餓感に近い欲望がたま〜に顔を出す。

特に今日みたいな静かな木曜日とかに

そういうときは決まってある友達にラインを送る。

 

「次釣りいつ行くよ?週末どっちか暇?」

 

『土曜日は休日出勤だから日曜なら行ける』

 

こいついつも休日出勤してんなと思いながら、了承するスタンプを送る。

 

これで準備は完了だ。

釣りに行けるワクワク感で仕事をなんとか乗り越える。

やまない雨や明けない夜と同じように終わらない平日などないのだから。

 

 

釣りが趣味と言っても近くの川に行って小魚で遊ぶ程度のレベル。

黄色いアロハシャツを着て、七分丈のズボンと変な日焼け跡ができる草履を履き、延べ竿を携え川に向かう。

 

川に着いたらまずお気に入りのアウトドア用椅子「コールマンのレイチェア」を広げて背もたれを倒し座ってタバコを1本。

自然の中で吸うタバコは身体にいい気さえしてくる。

 

※レイチェアに関しては今度また記事にすることにする。マジでいいぞこの椅子は

 

釣りというのは案外せっかちな方が上手になるとどこかで読んだことがある。

釣れるポイントや、釣り方をこまめに変えて意欲的に魚を狙っていくかららしい。

わからないでもないが、ぼくは1回釣竿を垂らしたらそこからほとんど動かない。

全く釣れなくても3〜4時間釣り糸を垂らしている。

魚が釣れても小さいし美味しくないから最近はリリースをしている。

 

「何もしなくても良いんだ。あぁ、なんて贅沢なんだろう」

2本目のタバコに火をつけツイッターのネタツイートを考えたりする。

 

ボーッとしたり、釣った魚の様子を伺ったり、野良猫に話しかけたり、太公望のマネをしてエサをつけずに釣り糸を垂らしたりしてみる。

 

釣れなくてもいいのよ。ボーッとする口実が欲しいんだから。

竿も持たずに川べりでボーッとしてたら、不審者か自殺直前の人になってしまうからね。

 

 

貴重な休日をめちゃくちゃ無駄に過ごす。

「何もしないをする」「貴重なものを敢えて雑に使う」

なんと贅沢な時間の使い方なんだろう。

 

そしてまた次の日からいつもの平日が始まる。

パソコンを打ちながらこんなことを思う。

 

「次の川べりでぼーっとしようか」

そんな期待があるだけで5日間仕事に打ち込むことができたりする。

 

趣味って大事。

そんなお話。

 

 

 

 

1.パウルマン先生(@bounoo)

このブログはぼくの好きなものを紹介するというブログなので紹介します。

まず最初に紹介するのは「パウルマン先生(@bounoo)」です。

 

つまりぼくです。

ぼくはぼくが大好きなのです。

 

ぼくは、26年彼女ができたことがありません。

未だに童貞です。可愛い女の子と話すときは顔が赤くなってワキ汗がとまりません。

マジでモテません。モテるための努力もしません。

女性に告白はおろかデートに誘うことすら出来ません。

そもそもLINEをするのが面倒くさすぎて既読放置ばかりします。

そのくせ可愛い女の子をエッチな目で見ています。

声も小さくいつもオドオドしています。

オタク特有のギョッとするような動き方をします。

仲間内になると早口でよく喋ります。

ASDの気があります。

顔もイケメンには程遠い部類だし、背は高いもののヒョロヒョロで頼り甲斐は皆無です。

つけてるメガネはいつも皮脂で汚れてて、タバコのせいか肌は汚く、口は臭く歯は黄ばんでいます。

その臭い口を開けば誰かの悪口を言っています。

面倒くさがりで掃除が嫌いで部屋なんか足の踏み場もありません。

自分が嫌だと思ったことはすぐ顔に出て、周りの迷惑をあまり考えません。

収入も多いとは言えず、貯金もほとんどありません。

友達と言えるのも頑張って数えても6人がいいところです。

 

 

 

でも、こんなぼくにもいいところはあります。

手足が長く痩せ型でスーツがよく似合います。

顔も割と小ぶりで7.5頭身くらいあります。

ハゲでもデブでもチビでもありません。

身長は26歳の今でもまだ伸びています。

仕事は真面目で誠実にやるので、上司にはわりとウケがいいです。飲み会でスイッチが入ればわりと面白い話もできたりします。

コミュニケーションを取るのは好きで、会社の人間関係などは概ね良好です。

頭の回転が早いときもあり、人の言ったことに被せてウケを取ることが得意です。

休日は割とキャンプや釣りに出かけたりするアウトドア派でもあります。

嫌なことがあっても、割とすぐ忘れる楽天的なところもあります。

掃除洗濯は苦手ですが、料理や子どもの相手は好きで、幼稚園教諭もできます。

本心から怒りを表出することはあまりありません。

あまりお金に執着がなく、わりとミニマルな生活をしています。

ソシャゲもやらないので散財もしません。

わりと人生楽しく前向きに生きています。

仕事も大変ですが、面白いところもあるなと最近思います。

料理をInstagramに投稿しないので、一緒に食事に行っても写真を撮る待ち時間はありません。

少ない友達は皆本当に気の置けない友人ばかりです。

 

これがぼくです。

全部が全部ぼくなので正確に言うと好きとか嫌いとかないんですよね。

 

ぼくはぼくなんです。

その事実はどうしようもできないんです。

朝目覚めたらどっかの誰かになってやしないんです。

 

「整形したら自信を持てる」

「彼女ができたら自己肯定感を持てる」

なんて言ってるバカが沢山いますけど

整形したらさらに違うアラを探して魔改造に走るのがオチだし、彼女が出来ても自信は無いから「束縛くん」か「いいなりくん」になるのがオチなんです。

何かに裏打ちされた自信なんて、それがなくなれば元どおりなんだから、根拠なく自分を肯定してくれ

 

「じゃあ、君は自信がないの?ないなら作れ!もしくはコンビニで買ってこい!」

おやすみプンプン」南條幸

 

自信は根拠なく持ってもいい。

ナルシストになるくらいがちょうどいい。

 

キモいお前を愛するのはおまえしかいないだろ